荻窪音楽祭とは

心をこめた演奏が心のふれあいを広めきっと住み良い街にしてくれる

荻窪の街を住んでみたい街、住んでいて良かった街、これからも住みつづけたい街、そんな心豊かに暮らせる街にしたいとの思いから街づくりの一つとして「荻窪音楽祭」がスタートして30回目を迎えます。

スムーズに南北が行き来できるようにバリアフリー化を目指し、若者や高齢者も快適に過ごせ、子供達が明るく元気に育って行ける街づくり。

この荻窪の地に住んでいることが、私達のささやかな誇りとなるような街づくりへの、皆様のご理解、ご協力をいただけましたら幸いです。

荻窪音楽祭事務局

〒167-0051 杉並区荻窪5-18-14(株)興建社内
TEL.03-5347-0244(月〜金・10:00〜17:00)
FAX.03-3398-3650

荻窪音楽祭の意義

『荻窪音楽祭』は、クラシック音楽を通じて荻窪の街づくり、街の活性化を目的に毎年2回春と秋に、大勢の方々が参加して音楽祭を開催してまいりました。

諸般の事情により、平成24年開催の第25回荻窪音楽祭より年一回秋の開催に変更させていただきます。

都心と郊外との中間に位置する荻窪は、JR中央線に平行して青梅街道が東西に走る人口約5万人の落ち着いた街です。

文化意識の高い、クラシック音楽を愛する、心温かい人々が多く住む荻窪の街は、皆様のご参加を心より歓迎いたします。

音楽祭の誕生

荻窪音楽祭を開催する意味。「荻窪音楽祭」は荻窪の街づくりの一環として生まれました。

荻窪駅前の整備や荻窪を取り巻く環境問題など、どうしたら荻窪の街が住み易くなるのかを街の住人たちで考え提言をしていこうと生まれた団体が「21世紀の荻窪を考える会」です。

「21世紀の荻窪を考える会」はお年寄りや小さな子供さんの居住環境をユニバーサルな目で捉え、それをどうやって実現していくのかテーマに掲げ活動しています。「クラシック音楽を楽しむ街・荻窪」の会もそうしたコンセプトから生まれたものです。

荻窪には先人たちの築いた文化的な風土があります。多くの文士や画家やいろいろな作家の人たちが大切な遺産を残しています。

「荻窪音楽祭」はお年寄りや小さな子供さん、そして誰にでも楽しんで貰えるクラシック音楽の演奏を通して文化的遺産を次ぎの世代につなげたいと思っています。

「荻窪音楽祭」はこうした主旨に賛同していただいた方々のサポートにより運営されています。

今後この会が10年、20年と続けるにはもっと多くの方の協力が必要です。小さな灯火ですが絶やさぬようボランティアの方々と推進していきたいと願っています。

荻窪の街(荻窪案内)

杉並区の立地

杉並区は関東ローム層の上に形成された武蔵野台地に存します。また、東京都特別23区の西端に位置し、東京都の発展とともに、経済的に比較的恵まれた地域と言われております。

同時に現在では減少傾向にありますが、杉並区の名前の由来ともなった緑豊かな自然に恵まれた住宅都市としての性格を持っております。

新宿と吉祥寺との間に位置する杉並区は、北を西武新宿線、南に京王井の頭線並びに中心辺りをJR中央線・地下鉄である東京メトロ東西線や同じく東京メトロ丸の内線と複数の鉄道が全て東西方向に走り存在します。

これらの鉄道を補完しながら、東西に伸びる主要道路としては早稲田通り、青梅街道、五日市街道、井の頭通りと、南北に伸びる環状七号線、環状八号線と区内外の経済活動を支えております。

上記の主要幹線道路並びに鉄道沿線に沿って商業圏が形成されています。中でも、JR中央線の高円寺・阿佐ヶ谷・荻窪・西荻窪の各駅を中心として小売商業が集積しています。

荻窪の産業

工業は、歴史的な経緯から東側では和田・堀ノ内の一部、南側では宮前・高井戸・久我山の一部、北西部では桃井の一部が都市計画法上の準工業地域に指定され、比較的大きな工場が存在します。

しかしながら、日産の工場であった桃井の土地が複合街区として現在再開発進められており比較的規模の大きな工場は少なくなる傾向にあります。小さな規模の中小企業の工場は区内全域に点在しています。

農業は、区の北部から北西部にかけての井草・善福寺地区と南西部の高井戸・宮前・久我山地区に生産緑地指定を受けた農地がその他の地域と比べると比較的多く存在し、野菜を主体に花き・庭園樹の生産に取り組んでいます。

文化の街・荻窪

荻窪の地域は、上記のような杉並の経済的な中心として発展してまいりました。もともとJR中央線は玉川上水の水上輸送に代わる輸送手段として明治22年に開通した甲武鉄道がその前身となります。

この鉄道が第二次世界大戦終了までの軍需物資輸送をするとともに、荻窪は将校の居住地としての役割を果たし、荻窪駅の南側の高級住宅地の雰囲気、北側の住商混在という独特の雰囲気を作り出しました。

このような時代背景から荻窪は陸軍将校の別荘地のようになり経済的にも文化的にも比較的恵まれた地域として発展していきました。

文化、歴史の分野でも井伏鱒二著の「荻窪風土記」にあるように戦前から作家、画家等の高い思想や知識を持つ人が多く住み、荻窪の文化を形成していたことが知られております。

美しい星空の下、空気の美味い東京郊外に家を建て静かに詩作に耽ると書いた井伏鱒二の荻窪は年々星の数こそ減ってはいますが、そこに養われたエスプリはいつまでも残したいと思っています。